私は今も、当時もずっと関東にいたのであまり実感としては大変さを味わっていないのですが、周囲には大変さを体験した人が沢山います。
当時は関西に住んでおり、被災した人。
当時機動隊にいて、救助に当たっていた人達。
です。
彼らの話を聞くと大変さが伝わってきます。
知人の被災者はずっと生き埋めになっていたそうです。
感覚低減に襲われそうになった頃に救助されたそうです。
【感覚低減】とは聞きなれない言葉だと思います。
簡単に言うと、体を動かせず、視界も真っ暗、音も聞こえない状態に現れる異常症状。
このように五感に対する刺激がなさ過ぎる状態が続くと、感覚がマヒし、酷いと発狂したり、死に至ることもあるとされている症状のことです。
アメリカ同時多発テロ(9・11)の時にもこの症状が発症した被害者がいたようです。
救助に当たった機動隊員は1ヶ月交代で出動していたそうですが、その間一度も靴を脱げなかったそうです。
警察は救助時には頑丈で、靴の中に石ころすら入ってこないガチガチの編み上げ靴と言う長い革靴を履いています。
こんな感じの靴です。 この靴は1時間履いて動くだけでかなり足が疲れます。 それを1ヵ月間一度も脱げずに履いたままです。 この靴は脱ぐのも、履くのも時間がかかります。 被災地ではいつでも緊急で出動する事が多かったため、寝る時ですら脱げなったんだそうです。 実は、この阪神淡路大震災は今の日本の社会にも大きな影響を与えました。 私が知っている影響は【犯罪被害者支援】 この考え方を日本に取り入れさせた切っ掛けがこの阪神淡路大震災です。 それまでは犯罪被害者への支援は制度としてほぼない状態だったようです。 災害なのに、何故犯罪被害者の支援なのか? それはその参考にした理論の影響です。 ジュディス・L・ハーマンと言う心理学者の提唱した記憶回帰による 【心的外傷と回復】と言う本です。 この人はある大事件の被疑者とされた人です。 その事件について詳しく知りたい人は 【記憶戦争】 で検索して下さい。 「人の記憶を他者が作り出せるのか?」 が争点となったアメリカ全土で問題になった大事件です。 アメリカでは悪者になりましたが、日本では考え方だけが取り入れられ何の問題も起きなかったようです。 詳細は省略します。 今回の記事は介護には直接関係ありませんでしたが、本日で阪神淡路大震災21年。 亡くなられた方へのご冥福を祈りつつの記事でした。 |
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